Skeyllのブログ

インディーデベロッパー

シンギュラリティの丘、ゾンビのさまよう街

 AIへの期待は年を追うごとに高まっている。ビジネス誌が「AI」の素晴らしさを語り、「Python」や「機械学習」という単語を通してAIに遭遇する。データサイエンティストは高収入であり、今最も旬な職業だと喧伝される。
 しかし、具体的なAIの事情について知るものは少ない。人は時間も体力もなく、実際に勉強することは難しい。だから、「AI」に期待を抱いて、シンギュラリティ(技術的特異点)を待望する。プログラミング言語Python」は人々の暮らしを大きく変えてくれるはずだ。人は労働から解放されて、あらゆる煩雑な仕事はAIが対処する。政治問題や学問研究すらもAIがこなしてくれるはずだ、と淡い夢が語られる。


 こうした考えと現実の間には大きな乖離が存在する。通常、人が人工知能と言われて想像するものは汎用人工知能と言われるものだ。ロボットの知能を担い、未知の問題を謎解くSF風なスーパーコンピュータが真っ先に浮かぶ。しかし、これは現在話題に上がるような「AI」とは全くの別物だ。ビジネスの文脈で語られる「AI」はプログラムを発展させたものであり、何かしらのデータやルールを元に結果を予測するものでしかない。無からは何も生まれない。「AI」とてそれは同じで人間の手で材料を用意してやる必要がある。
 「AI」に最も重要なのは何をデータとして与えるかという選択だ。データに偏りがあれば、分析結果にも偏りが生まれてしまう。機械学習の手法は他者が提供してくれるかもしれないが、「データ」は自然発生するものではない。学習の手ほどきでサンプルの集め方も解説されているかもしれないが、ビジネスは多岐にわたり、目的によっても扱べきデータも異なる。結局、「AI」といってもコンピュータの補助がある統計学にすぎず、そのビジネス分野の潤沢な知識と使用者のセンスがあってはじめて効果を発揮する。


 では、汎用人工知能はどうだろうか。いまだ実用化には至ってはいないが、技術の発展により人を焚きつけて一層の研究が行われている。もし、汎用人工知能が実現したらSFのような、未来予想として語られような世界は訪れるのだろうか。


 実現した場合のことを予想してみよう。AIは完璧であり、全ての最適化問題が解決される。AIがAIを開発して現在の比ではない以上の技術成長が起こる。AIが仕事を担い、人々は生産から解放される。分配もAIによって行われ、政治はAIが取って代わり真の平等が達成される。
 社会主義の理想ではないか。たった30年前に全てを否定されたにも関わらず、全く異なる文脈で全く同じ夢を見る。しかし、今回は人間ではなく、機械なのだから汚職は行われず、より優れた施策が行われるはずだ。

 生産活動はAIによって最適化が実現するため、資源が有効活用される。時間や金銭的な余裕が増えて人口は増加する。生産は拡大されるが、やがて生産の限界を迎えて人口の調整を提言される。筋肉は人類の敵だ!消費エネルギーが増えるために運動は否定されて、最低限の栄養摂取で生きることが良しとされる。労働から解放されたために知能が衰えて、肉体的にも退化したゾンビが街を徘徊するだろう。

 いや、そんなことはない。調整すればいいのだから、不都合な未来は防ぐことができるはずだ。人類がAIを従えた世界が訪れる。人の好みを元にAIが研究を行い、新商品を提案する。人類の欲望が完全に満たされる理想的な未来への舵取りが人間主体で行われる。
 しかし、これまでの歴史は失敗と成功の繰り返しが築き上げてきた。優れた文化や物が普及して、競争に敗れたものは歴史の影に忘れられる。無謀な国家や個人の盛衰が人類史の軸には存在する。変化とは未知の遭遇だ。AIが導き出した答えも競争に晒されるのだろうか。より優れた知能ならばより多くの答えを求め出すだろう。その全てを比較してみるのだろうか。
 AIは完全無欠だ!必ずや競争に勝ち上がるはずの答えだけが導き出されるはずだ!はたして、完全とは一体なんであろうか。万能論的な考えは人類史の中でも珍しいものではなく、隆盛のたびに否定されてきた。人は全てを知ることはできない。それはコンピュータでさえ同じだ。ある線分上に存在する点を全て抜き出すように、プログラムを書けばコンパイラがエラーを吐くか、無限ループを起こしてプログラムは停止する。データには必ず恣意性が生まれる。それがたとえAIにより収集されるのだとしても全てをデータとして扱うことはできない。

 結局AIは人類の知能を補助するものでしかないのだ。生産活動がAIによって効率化されることはあっても、全てに取って代わることはない。何を行うかは人間が決定するしかなく、結果は個人に帰属する。たとえ導入のコストが十分に低くなったとしても、その恩恵は一部のものしか受け取ることができず、人々が労働からは解放されることはない。あらゆるものにAIが導入された成熟したAI社会が実現したとしても、全ての者が経営者となり競争のリスクだけが大きくなった社会になるに違いない。


 もちろん、誇張して注目を集めるのは発展させるためには有効だ。期待されるほど資金や優秀な人材は集まる。しかし、夢や理想の未来が待っているとは限らない。現在のAI研究は情報工学やIT企業の研究所の中だけで行われている。データと対峙して、人間の脳を解析して、最適化問題の解決に邁進する。こうした情勢の中でシンギュラリティを迎えた時、人類史は平坦な丘を歩み始める。そうして動物農場の家畜へと成り果てた自己を目撃することになるだろう。



参考
真のAI「汎用人工知能」(AGI)とは? フィクションか現実か:“人のようなAI”は実現するか【前編】 - TechTargetジャパン データ分析
人工知能 - Wikipedia
F.A.ハイエク 西山千明訳『隷属への道』(春秋社 2008)
F.A.ハイエク 気賀 健三、古賀 勝次郎訳『自由の条件』(春秋社 2007)
ウィリアム・H. マクニール 増田 義郎、佐々木 昭夫訳『世界史 上・下』(中公文庫 2008)

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